ライフストーリーレシピ4 再び失われた日常

整理で「希望」をみつけて
選ぶ力を取り戻す!
今から未来をつなぐ
ライフオーガナイザー®の猪俣有希です。

ライフストーリーレシピは私が
ライフオーガナイザーになるまでの
パーソナルストーリーを書いています。
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▶︎ライフストーリーレシピ 4  再び失われた日常

小学5年生の時一番下の妹が生まれます。
11歳離れた妹は本当に可愛くて
貧しい生活ではあったけど
普通の日常が戻ってきました。

ちょうどその頃私と二つ違いの妹は
習い事でテニスを始めて
中学生から高校生にかけては
スクールと部活でそれなりに充実した
毎日を過ごしていました。

転機は大学生になってから訪れます。
母の乳がんが発覚したのです。

それも初期ではなく
既にリンパに転移していました。

幸いにも手術は成功し
合う薬も見つかりました。

ただ薬の副作用と
右手のリンパ節をとったことによる浮腫で
今までのように無理がきかなくなりました。

買い物も洗濯も料理も趣味のテニスも

「やりたいのにできない」

それでも無理して頑張っていたのだと思います。

家族の前では明るく振舞っていました。

それから少ししてもう一つの問題が起こります。
父方の祖父が亡くなった後、多額の借金が発覚
母が知らないうちに父が連帯保証人になっていました。

そして破産宣告をすることになります。

4人子供がいるうえ母の治療でも
お金がかかっていたので
毎日家ではお金のことで夫婦げんかをしていました。

ちょうど私は大学三年生で就職活動の時期。

リーマンショック後の不況もあり就職氷河期
と言われた時期でした。

「もしかしたら私が家族を支えなければいけない」

「最悪の時一番下の妹を養ってあげられるようにならないと」

そう思った私は何が何でも
就職しなければいけないと思いました。

どうやって就職活動を進めるか考えた時
「建築」の道に進む事は諦めました。
(大学は建築専攻でした)

設計はすごく楽しいけど
組織設計は向いていない
かといってアトリエは
収入が安定しない

今考えればできなかった時の言い訳です。

でもこの時はやりたい事なんて
考えていませんでした。

自分の本心と向き合う事から逃げて
就職する事が目的になっていました。

そして早く就職活動を終える事を考えて
私の選んだ道は「接客業」でした。

理由はアルバイトで接客について
褒められる事が多かった

それだけです。

そのエピソードがあれば後はどうにかなるだろう

という安易な考えのもと
就職活動をスタートしました。

もともと話すのが得意なこと
質問の意味を察するのが得意だったので
就職活動は順調に進みました。

大学三年の一月には最初の内定をもらい
その後3社内定を頂いて三月には就職活動を終えました。

でもこれは想定内の出来事。

最初から大手は狙わず
中小企業だけに絞っていく
そうすれば早く内定がもらえるという
戦略を立てたから得られた結果。

挑戦してないから想定どおりなんです。

これは就職活動に限らず
高校を決める時も大学を決める時もそうでした。

私は進路も就職も親には決めてから報告して
相談をしたこともありません。

それはもう自分で結果が見えてるから
必要ないと思っていました。

でも親に心配をかけない
迷惑をかけないというのを
言い訳にして本当は
「失敗するのが怖い」だけなんです。

失敗した自分を認めることができない
だから自分と向き合わず
現実的で想定できる道を選んでいました。

かといって「これでいいや」と思うわけでもなく
どこかでいつも自分はこんなもんじゃないと
いう気持ちも持っていました。

だから安全な道を選んでいることがすごく嫌でした。
自分のことをいつも「逃げてる」と思っていました。

でも忙しくすることで見ないフリをしていました。
それが後々さらに自分を苦しめることになります。

ライフストーリーレシピ⑤に続く
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ライフオーガナイザー®
猪俣有希

投稿者プロフィール

猪俣有希
猪俣有希
88年生まれ。ライフオーガナイザー®/オフィスオーガナイザー® 1LDK、パートナーと二人暮らし。幼少期、片付かない家に育ったことで片付けに目覚める。現在は整理・片付けを通して女性が自分らしく『希望』を持って生きていける社会の実現を目指して思考と空間の整理のサポートを実施中。

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